TOP > INTERVIEW > 窪塚洋介 X 柿本ケンサク

インタビュー メイン画像01

俺はただ、そこに いた だけ

まずはこの作品を制作するに至った経緯などから教えていただけますか。

柿本ケンサク(以下、柿本)
「パリを拠点に活躍されている半野さんという音楽家の方がいて、何か一緒にやりたいねという話はいつもしていたんです。この<UGLY>という映画の骨子もその中で出来上がったもので。それで彼を洋介君に紹介したところから話は進んでいったんですね」
窪塚洋介(以下、窪塚)
「渋谷でうなぎかなんか食ったんだっけね。紹介したい人がいるって柿本君から連絡受けて半野くんを紹介されて。はじめは普通に飯食ってたんですけど、何かのきっかけで半野くんが『実はこういうことを考えているんだ』って、自分の中にある企画を話し出してくれて。それがまぁ、いわば<UGLY>の骨組みになるような話だったんですけど、それがすごく面白かったんですよね。単純に。で、監督・柿本でやってみないかと。もちろんそれ自体、面白そうだと思ったんですけど、そういう風に、ローバジェットで、仲間内で、有志で集まって映画を作るっていうことをあまりやってこなかったんで、そういう作り方っていうのもやってみたいというのもあって」

一作品としてだけでなく、そのプロジェクトそのものに面白みがあったと。

窪塚
「どういう風になるのかなっていう心配はないこともなかったけど、漕ぎ出す船をつくってくれるのが柿本君だということもあったからそこは安心して。ジャマイカとかも一緒にいったりとかして、気心は知れているんでね。むしろ前向きな方向で考えて、『やりましょうやりましょう』っていうようなことを言ったと思う」
柿本
「映画を撮りたいと思って僕は毎年必ず5本くらいは映画会社に企画を出すんだけど、だいたい通らないんですよ。もちろん、逆にむこうから映画のオファーがあったりもするけれど、それは、なんていうかな…」
窪塚
「本当の意味でやりたいのかっていったらね」
柿本
「うん。自分で表現したいと思うこととはちょっと違うなっていうこともある。実は<UGLY>も大きな映画会社に話を持っていったりしたんですが、話を進めていく上でだんだん自分の思いとは違う要素が入り込んできてしまって。だったらいいやってことで、こういう自主制作的な形でやると決めたんです」

アグリー インタビュー画像 窪塚洋介

今回の作品は、柿本さんがプロットで『いい映画を作ろう、メッセージを伝えようという思いが邪魔な荷物になってしまった』
とおっしゃっていますが、“メッセージを込める訳ではない映画”というのは俳優としても非常に難しかったのではないでしょうか?何かを伝えようというつもりはないけど、映画は作る。そこにはジレンマもあるような。

窪塚
「逆にそれはお客さんに求めればいいのかなって俺は思っていて。僕らの中で、こういうメッセージをこういう形で伝えたい、っていうのを持たないことで、見た人の数だけエンディングがある。言い方ちょっとチープになっちゃうけど。でもこういう企画だからこそ、もっと作品の広がりを追求できるわけで。結果として何も感じなかったっていう人もいれば、恋愛ってって思う人もいる。家族って、旅って、仕事って…。いろんなところに落としどころがあると思うんですよね。というか、いろんなところに勝手に落ちてくれていい。そういう意味ではすごく乱暴だし、無責任だと思うんですよ。こっちの姿勢としては。でも<UGLY>は本当にそこにトライできた映画だってことです」

実際に主人公カズヤを演じる上で難しいことはありましたか?

窪塚
「別にそれはなかったかな。ドキュメンタリー映画みたいな感覚もあったんで。僕もパリって初めてで、二日目、三日目とだんだん慣れてくるタイムラインもカズヤとシンクロしていたし。そういう意味ではリアリティがあった。だから、なんていうか“そこにいた”って感じですかね。ただ、パリに、いた。」

等身大で。

窪塚
「そうですね。うん。役作りとかも特にしなかったですし。それこそ役で使った鞄なんかも本当に自分のものですからね。それを宿から現場まで歩いて自分で持っていって。移動も自分たちでしなければいけなかったし。そのせいもあって映画にどんどんリアリティが増していったと思う」

ちなみに窪塚さんにとってカズヤはどういう人物に映りましたか?

窪塚
「それこそ等身大ですね。俺のっていうよりは、なんていうか、俺たちの世代の。仕事もあるけどあんまりうまくいかず、目の前で人が死んだりしているけど何もできず。ドラマティックにいろんなことが進んでいくんじゃなく、なんとなく女と出会って、なんとなく事件に巻き込まれる。そういう取るに足らない奴が特別な状況に巻き込まれた時、何かできるかというとやっぱり何もできない。長いのか短いのかわからない人生の中で一瞬そういう出来事に巻き込まれる。そういう奴です」

窪塚さんとは対照的な人物像のような気がするのですが。

窪塚
「俺だったらこうするんだろうなって思う部分はたくさんあったから、そういう意味では遠いところにいる気もするけど、例えば俺の中にあるやりたいこととか夢とか希望とか、そういうものをどんどん削除して排除して削っていって、残ってたものがカズヤみたいなことかな。だからそういう意味では、普通というか…何が普通かなんてわからないんだけど、何か得体の知れない普通さみたいなものっていうのはどこかで意識して演じていたのかもしれないですね」

アグリー インタビュー画像 柿本ケンサク

柿本さん、 窪塚さんが演じたカズヤはいかがでしたか? 最初に思い描いたカズヤと変わった部分はありましたか?

柿本
「そんなこともないですね。ある程度、イメージした通りのカズヤだったと思います。テンションとか、空気感とか」
窪塚
「多分、お互い持っていたカズヤのイメージが近いんだと思うんですよね。人物像とか、どう振る舞うかとか、パリではそういう会話なんてほとんどしていないもんね。」
柿本
「まったくしていない訳じゃないけど、すごく少なかったね。洋介君は勘がいいから、大体2言えば8返ってきたりするんですよ。で、やりすぎだったら、自分でちょっとやり過ぎだよねっていったりするし。その辺はまったくストレスなくやれた。それに、フランス人の役者達も途中から現場の空気にすごく引っ張られていったよね」
窪塚
「いや、それはほんとそう」
柿本
「日本人のスタッフの中に交じって、はじめはどれくらいのチューニングで行けばいいか悩んでいる感じだったけど、どんどんのめり込んできたというか。ニマという役の女の子は実は役者じゃないんだけど、撮影中に開花して」
窪塚
「あれは凄かったね。ああゆうの見せつけられると嫌になっちゃうんですよ。天才! みたいな。泣きに入ったらもう止まらなくなって、撮影が終わってもしゃくり上げちゃって」

でもそれだけの空気感が現場にはあったと。

窪塚
「どんどん渦巻いていったんですよね。高まっていくっていうか。そんな中で一体感みたいなものも生まれて、みんなちゃんと同じ方向を見て映画に取り組めたと思う」

とても抽象的で、観念的で、難しいテーマの映画だと思うのですが、それをイメージ通り形にすることができたということでしょうか。最後に改めて、この映画に乗せた「思い」を聞かせていただけますか。

柿本
「もちろん、つじつまを合わせてきっちり作る映画もありだと思うんです。でもその一方で、つじつまなんか合わせようとするから、つじつまのあった映画しかできないと思うこともあります。世の中って本当は理不尽なことばかりだと思うんですよ。地震や台風だってそう。人の生死だって何の脈絡もなく一瞬で決まってしまったりする。人を好きになることも嫌いになることも理由なんか後付けみたいなもので、実際とても理不尽なことだと思うんです。そこまで広げて考えれば、つじつまなんて、理由なんて、どんなにつなげようとしたってつながらない。<UGLY>はいわばそんな『自然』みたいな映画ですね」
窪塚
「そうだね。吹き抜けた風とか、街角の雑踏とか。何の理由もなく、ただそこにあるもの。それをドラマティックと思うかどうかは、それを観た人の歩いてきた道が決めることっていうか。そういうことだよね、きっと」

text : 行方淳